経歴
故郷
エーリク・ブルーンは1926年4月7日、ヴィープリで生まれました。一家はヴィープリ近郊のサイニオという村で暮らしていました。この村からはテキスタイルのキルシ・ランタネン、家具デザインのウリヨ・クッカプロ、デザイナーのオイヴァ・トイッカなども輩出しています。サイニオはヴィープリから10kmほど離れたところにありました。ブルーン家は、その村で母がやっていた養鶏場で成功していました。エーリクの遊び相手はもっぱら3歳半年上の兄カイ。カイは後年庭師となり、また有機農業をはじめることになります。
若かりし頃のエーリク
当時のエーリクが夢中だったのはスポーツでした。兄と一緒に手漕ぎボートをつくり、それでストックホルムまでの往復をしたこともあります。そのときはストックホルムからさらに先へ、タンデム自転車を借りてオスロまで行き、親戚に会いにいったのでした。ほかに興味のあったものといえば、模型飛行機。エーリクは1940年代に翼幅3.5mの模型飛行機をつくっています。
サイニオを離れて
第二次世界大戦後、家は国境の向こう側に位置することになり、一家は何度かの引越しを経てサイニオからエスポーのカウクラハティにたどり着きました。ここで4ヘクタールの土地を購入します。エーリクは1945年に軍の召集を受け、そこからヘルシンキにある芸術デザイン大学の夜学へ通いました。夜学での勉強を2年修めたところで日中への転学が許可されます。学生時代から頭角を表し、1947年~48年期にはたとえばカウニス・コティ誌の表紙画コンペで優勝して3500マルカの賞金を獲得するなどの活躍をみせました。
キャリアのはじまり
学生生活の傍ら、メッスソミスタモ社やクヴァマイノス社で仕事をするようになり、力をつけていきます。とくに後者の会社のコンペを経て、はじめて自作のポスターが印刷されました。エアシャー種牛の50周年記念展のためにデザインしたポスターでした。1951年~53年はスオメン・イルモイトゥスケスクス社に勤務していましたが、その後1953年に独立、フリーの広告デザイナーになります。
ポスターの黄金時代
広告デザイナーとしての仕事は当時の経済状況を背景に、独立してからも依頼が続きました。新聞ではまだカラー広告がなく、テレビが広告媒体になるのもまだまだ始まりに過ぎませんでした。当時は街頭で目を引くカラーの広告こそが商品のブランド力を作る役割を背負っており、これが脇役に回るのは何年も先のことでした。ポスターの黄金時代、エーリクへの仕事の依頼は続きました。クライアントはフヴスタッドブラーデット紙、ハートウォール、ハヴィ、観光分野の機関や協会でした。
さまざまなところで
エーリクのデザインで人気の高いものは、さまざまに商品化されました。たとえばヴァッリラ・インテリアは2010年~2012年にかけて、エーリクがデザインした柄で生地やカーテンを生産しています。2017年~2018年冬、ヴァッリラはさらに新しい商品を出す予定です。
2017年
エーリクは現在92歳ですが、今でも朝から晩までグラフィックデザインをしています。今年はエーリクがデザインした切手のシリーズのほか、商用ポスターも数々登場。アイデアを出すことや考えをカタチにすることは、このアーティストが元気でいる最高のエネルギー源なのです。エーリクはいまも毎日のように世界中からやってくるライターや記者に会い、パーティーやイベント、そのほか自身の展覧会などにも顔をだしています。